人生に飽きたから本気出す

人生に飽きた内向的な男が幸せになる方法を真剣に考えるブログ

挫折しない新年の抱負を立てるにはPDCAを継続させる戦略を立てよう

あけましておめでとうございます。昨年内にもう1記事書こう、新年になったら1記事書こうなどと考えて2日になりました。

そんなわけで、昨年がどんな年だったかを思い起こしてみると、1月1日に立てた抱負が思い出せない。達成したかどうかもわからなければ、評価のしようもない。何年もそんな毎年を送っております。

私のように、いつも新年にはあれやろうこれやろうと意気込むものの、すぐに息切れしてしまうことはないでしょうか。人は1年くらいの短期的な目標に対して自信過剰、楽観的となり、5年くらいの中長期的な目標については、過小評価してしまいがちである、とエライ誰かが言っていました。

2020年こそ自分の得たい成果を手に入れるため、ハイディ・グラント・ハルバーソン著「やりぬく人の9つの習慣 コロンビア大学の成功の科学」を読みましたので、紹介したいと思います。ぜひ新年の抱負づくりに役立てていただければ幸いです。

 

「やりぬく人の9つの習慣 コロンビア大学の成功の科学」の概要

この本を一言でまとめると、「目標達成には、PDCAを継続するための戦略が一番大事」ということです。全部で120ページ程度の短い本ですが、9つの習慣という視点から、いかに目標を作り、行動計画を作り、どう継続してやり抜くかについて説いた本になります。いつも目標を立てては実行できない、行動はするんだけど成果が出ない、そもそも諦めている、といった方に参考になるのではないかと思います。

それでは、9つの習慣を見ていきましょう。

 

「才能が成功に導いた」のではなく、「ある種の思考や行動によって、自らを成功に導いている」

著者は成功までの目標を達成できる人に共通する思考や行動を以下の「9つの習慣」としてまとめて紹介しています。

  1. 目標に具体性を与える
  2. 目標達成への行動計画を作る
  3. 目標までの距離を意識する
  4. 現実的楽観主義者になる
  5. 「成長すること」に集中する
  6. 「やりぬく力」を持つ
  7. 筋肉を鍛えるように意志力を鍛える
  8. 自分を追い込まない
  9. 「やめるべきこと」より「やるべきこと」に集中する

 

ポイントを3つにまとめます。

①目標に具体性を与え、達成までの行動を明確化すること。

目標が具体的でないと、ついつい「このくらいでいいや」と簡単に妥協すると言います。そのため、「やせる」という目標ではなく、「5キロやせる」という目標の方が望ましいです。言い換えれば、どうなったら「目標を達成した」と言えるかわからない目標が達成することは一生ないでしょう。

その上で、やるべき行動を着実に実行するためには、「いつ何をやるか」あらかじめ予定に入れておくべきと言います。確かにやる日時が決まっていないものについては、いつになってもやらなかったりします。次は何何しましょうといった誘い文句が実現しないことと同じですね。「やせる」の例で言えば、「月曜と水曜は出勤前にかならず30分運動する」といったものです。

とはいえ、具体的な目標も決まり、やるべきことが明確になったとて、やる気が出ない時もあるかと思います。そんな時は、「私にとって成功(目標達成)とは何か」、そして「成功(目的達成)への障害は何か」の2つを心の中で考えること(メンタルコントラスト)が大事であると説いています。また、目標までの距離を意識し、日々どれだけ進歩したかフィードバックを受ける必要があるとも書いています。

ここからは私の考えになりますが、人間は意識しなければコンフォートゾーンに留まる生き物であり、過去に経験がないことやはっきりとイメージできないものには恐怖を感じるかと思います。新しいことを始めようと思っても何かと尻込みしてしまうといったことは少なからずあるでしょう。そんな時、新しいことを始めるとどんな居心地の悪い事象があるか、どうやったらそれは改善できるのかを事前に考えておくことで、新しいことを始めるためのハードルを下げることができます。漠然とした不安感が明確になるからです。そして、自分の進歩を認識できないことには、続けるモチベーションが湧きません。RPGでもずっと同じレベル、同じ街周辺でうろついていてもすぐに飽きるのと同じです。

 

②if−thenプランニングを積極活用すること。

if−thenプランニングとは、「もしこうなったら、こうする」ということを事前にはっきりと決めておく手法になります。これをすると、実行できる確率は2倍から3倍も高くなるというのです。例えば、「16時になったら、何があっても、今日かけるべき電話は全てかける」といったものです。なぜこれが効くのかというと、脳は「XならY」という文章を記憶しやすいというのです。確かに、自分に複雑なルールや曖昧なルールを課しても抜け道があったり、すぐに破ってしまうことがあるでしょう。これは私の例ですが「1週間に1記事書く」というルールではまだあと3日もあるとか、直前になってやっぱり今週は無理だなとか、いろいろ難癖をつけてしまうのです。なので、いつ、何をやるかはっきりしておくことが重要です。先の例を変えてみますと、「土曜日の10時に家にいたら、着席して記事を書く」、「日曜日の10時に土曜日の記事が終わっていなかったら、着席して続きを書く」といった感じです。

なお、このif−thenプランニングはモチベーションの維持にも効果的と言います。本書では、「もし、私が自信をなくした時は、私が「〇〇〇〇」をやり抜いたことを思い出す」という例示がありました。筋トレとかダイエットであれば、「もし、1日のメニューをこなす気力がなくなった場合は、理想とする体の人の画像をすぐに見る」とかが良いのではないでしょうか。

 

③日々意志力を強化すること。

意志力とは読んで字の如く、自分が意図する方向へコントロールする力のことです。全ての挑戦(目標達成)の共通点は「誘惑に打ち勝つ」必要があるといいます。目標達成には障害がつきものであり、それらを乗り越えるためには、自分で決断をコントロールしなければならないということです。ダイエットしているのにお昼にとんかつ定食にするのか、ヘルシー定食にするのかは、意志の強さによって選択が変わるのは納得できます。では、意志力をどうやって鍛えるかというと、「とにかく取り組む価値があると思うことを続けること」としています。具体例として、猫背になっていると気づくたびに、背筋を伸ばす、といったものが挙げられています。小さな決断の積み重ねが意志力を大きくし、いつしか大きな目標に取り組む意志力が身につくと言うのです。

なお、誘惑は避けれるのであれば避けた方がいい、複数の大きな目標に同時に挑戦しない、といったことも書かれています。ダイエットをしているのにバイキングに行ったり、禁煙とダイエットを並行するのは、自分に大きなストレスを与える以外の何ものでもありませんね。

そして意志力強化にもif−thenプランニングは有効と思います。ご飯を食べ終わって10分したら、食器をかならず洗う。家に帰ってきたら、靴を揃える。ショーウインドーに自分が映っているのを見たら、姿勢を正す。などなど簡単で、シンプルなものから取り入れていきたいですね。

 

結論

上記3つのポイントをさらにまとめると、冒頭述べた「目標達成には、PDCAを継続するための戦略が一番大事」にたどり着くのではないかと思います。行動しなければ目標達成しないことは間違いありません。しかし、その行動を正しい方向に、継続して、目標に向かうためには、やっぱり具体的な行動計画だったり、ルール(モチベーションの上げ方)だったり、フィードバックが必要だし、さらに意志力を強化していく(という意識)ことも必要なのではないかと思いました。

とはいえ、行動しなければ見えてこない課題や障害もありますし、目標達成までのギャップが見えないこともあります。結局のところ、計画を立てて、実行して、ギャップを認識して、軌道修正して、再実行すると言ったPDCAサイクルを回すという基本が目標達成には重要といえるでしょう。

 

以上

 

仕事に飽きたとき、自分を見つめなおしてみんとてするなり

 

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なぜ仕事に飽きるのか。飽きをどのように受け入れるのか。これを考えることによる恩恵は、この先100年時代において、重要だと思います。残念ながら、すべての人が満足の得られる仕事をしているわけでもなければ、私もまた然りです。

そこで、今日は「なぜ仕事に飽きているのか」、「飽きるとはどういうことなのか」、「飽きないようにするためにはどうしたらいいのか」ということについて、考えようと思うわけです。

 

なぜ仕事に飽きてしまうのか

まず考えなければいけないのは、「飽きる」という単語を正しく使用できているか、ということになりますので、辞書を引いてみます。

あ・きる [2] 【飽きる・厭きる】

( 動上一 )
四段動詞「あく」の上一段化。近世江戸語以降の形〕
 同じ物事何度も続いていやになるいやになって、続ける気がなくなる。 「パン食に-・きる」 「仕事にすぐ-・きて長続きしない
 満ち足りてこれ以上はいらなくなる。 《飽》 「好きな物を-・きるほど食べたい
 動詞連用形の下に付いて、いやになるほど十分に…する意を表す。 「見-・きる」 「そんなせりふは聞き-・きた」

 出典:三省堂大辞林第3版

 仕事上において、②のパターンはなかなか少ないと思いますが、例えば人気絶頂の芸能人がスパっと辞めるのなんかは、もしかしたらこれにあたるのかもしれません。しかし、この記事が対象とするのは、多くのサラリーマンが感じるであろう①のパターンとしたいと思います。 

では、「同じ物事が何度も続く」状態について考えたいと思います。

 

「同じことが何度も続く状態」とは

仕事の性質にもよりますが、全くの同じことが何度も繰り返し続く状態というのは、おそらく相当にまれです。例えば、実態はわかりませんが、刺身にタンポポを乗っけるだけのような仕事はその良い例でしょう。

事務職だろうと営業職だろうと企画職だろうと同じことの繰り返しであることを嘆き、飽きている人がたくさんいることは、新橋の居酒屋に入ればすぐに理解できます。しかしながら、前述のように全く同じ仕事はおそらくないと思います。顧客が変わる、案件が変わる、金額が変わる、処理が変わる、人間関係が変わるなどなど、同じでないことを示す要因はたくさん考えられます。それでも、同じであるように認識して、仕事に飽きているのは、業務フローとかマニュアルとか、あるいはもっと大きく抽象的な企業風土とかそういった枠組みの中でしか行動できていない、その枠組みのなかで何度も同じような処理や考え方をしていると思っているのではないでしょうか。それはある意味、組織にフィットしていきながら、自分がその業務について習熟しつつあるという点において有意義であるといえます。就業したての頃はすべてが新しい業務に思えていたわけですが、今はすべて同じような業務であると認識できているのですから、一段階自分の視野が上に移り、より抽象的に考えられるようになったと言っていいでしょう。

その一方で、同じであると認識することは、先に述べた通り、飽きの感情を生み出し、モチベーションの低下につながります。では、どうしたら今やっていることが同じでない、新しいものであると認識できるのでしょうか。

 

同じ事象の繰り返しであると認識しないために

ここで言いたいのは、日常生活に変化をつけましょうだの、新しいことを始めてみましょうだのといった安直な提案でもなければ、仕事にフルコミットしましょうだの、初心に戻りましょうだのといった精神的な解決案でもありません。結論から言ってしまえば、やりたいとか考えずに既にやってる行動や考え方の幅をより広めたりしたらどうですかということです。

ここで自分の例を出します。私は新卒後に就職して違和感を持ち始めてから、ずっとやりたいことを探してきました。これには2つの理由があると思っていて、1つには、やりたいことをやっている(ように見える)人がよく目につき、うらやましく思えたこと、もう1つには、やりたいことをやったほうがいいという自己啓発本の方がよく目につき、感化されたことです。そのため、ずっとやりたいことは何なのかを探してきたわけですが、結局、小さなやりたいことやその時々でやりたいことはありますが、いわゆる成功本に書かれているような寝食も忘れて取り組めるようなものには出会えなかったわけです。小さくてもやりたいことがあるんだったらやれよというのが、一般的な見解かと思うのですが、どうやら私は「やりたいこと」にずっと幻想を抱いていたため、休む暇なく取り掛かれるレベルのものを探し続けていたのでした

そういった幻想を抱きながら仕事をしていると、「私がやりたいのはこんな事じゃない」、「もっとやりたいことがあるはずだ」、「自分はやりたいことができればもっとやれるはずだ」、「こんな場所に留まるべきじゃない」などといったある種言い訳がましい考え方をするようになったのです。するともう仕事にコミットするどころではなく、やる仕事全てが同じことの繰り返しであったり、ひどくつまらないものに思えたのです。

そうこうしながらも、長く働いているともう一方の自分が顔を出します。ずっと幻想を抱き続けている自分に対して冷ややかな目を送る自分です。「やりたいことなど存在するのか」、「今の環境から目を背けているだけではないか」、「夢を追っている自分に酔うことによって、自尊心を保とうとしているだけではないか」などの声が聞こえてくるのです。そして、私は未来の可能性をずっと追ってきましたが、過去の実績や自分の状態について深く顧みることをしてこなかったことに気付いたのです

そこで私は自分の行動、特に仕事中の感情の起伏だったり、無意識的な仕事の進め方だったり、メールの文面や発する言葉に注意し、逐一記録を取っていきました。すると自分の属性ともいうべきオリジナリティが見えてきたのです。

 

やりたいことだから飽きないのか、オリジナリティがあるから飽きないのか

ここからは私の推測になりますが、好きなことをずっと続けている人に飽きるということはないのではないかと思います。例えばですが、ピアノを幼少期のころからやり続けけ、成人以降も続けている人は、おそらく曲を覚える、練習する、曲を弾けるようになる、披露する、コンテストにでる、など同じことの繰り返し(に見える)にいるかもしれませんが、それでも飽きるということはないでしょう。

ここで言いたいのは、やりたいこと、好きなことだからそのようにできている、ということではなく、ピアノに取り組むときのオリジナルな思考法だったり、感じ方があり、それが最大限発揮されるから、飽きることなく続けられるのではないかということです。

かなり抽象的な話になり、私自身最適に言語化できないもどかしさがありますが、例えば、売れる営業マンは自分なりのフレームワークを駆使して、契約を増やしているという事例を想定してみます。この営業マンは最初は右も左もわからず、受注も全然取れなかったが、自分なりに工夫してみたところ、契約を取れるようになり、やりがいを感じ始めました。よりステップアップしたいと思い、金額の高い商材を扱う会社に転職しましたが、そこの営業はマニュアルに沿ってやらなければならなかった。一方は自分が編み出したやり方、他方はマニュアルで、どちらも軌道に乗れば、「同じことが何度も続く」状態でありますが、圧倒的に満足度が高いのは前者でしょうし、前者なら飽きることはあまりないのではないでしょうか。

 

裁量が認められるところに行けばいいのか

先の例から、裁量が認められるところに行けばいいのではないかという話になりますが、必ずしもそうではありません。なぜなら、自分のオリジナリティは人それぞれ異なるものであり、完全なる裁量が認められたとしても、それが自分にベストフィットするとは限らないからです。人から言われた指示を正確にこなすほうが心地よく感じる人もいれば、誰かの右腕として働くほうが性分に合っている人もいます。ではどうしたらいいかと言いますと、仕事はもとより、プライベートにおいても、どのような行動や思考を自然と行い、それに対して心地よさを持っているかをしっかり知ることが先決になるのではないかと思うのです。もちろん、その行動様式や思考様式がそのまま仕事に活きない可能性もありますが、少なくともそれを取り入れられれば、飽きることはなくなると思われるわけです。なぜなら、自分にとってポジティブで自然と行う行動に飽きもクソもないからです。

 

結論として、どこから手を付けるか

よく人それぞれだよね、と言ったりします。また、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」を読んで、小学生ながらに、みんなちがって、みんないいんだと思ってきました。このことは頭では理解できるものの、みんな違っている部分、特に自分についてしっかりと認識し、理解できているでしょうか。自己啓発本や検索結果で出てきたブログ、上司や友人など他人からのアドバイスは一部有用であるものの、完全に自分にフィットするわけではありません。この仕事飽きるよね~などと同僚に愚痴をこぼしてみても、アドバイスを求めてみても、それは完全に有効なものではないのです。そして、どのアドバイスが自分に有効かは、自分を知らなければ大きく的を外すことにもなりかねないのです。

長々と書いてきましたが、一番言いたいことは、仕事に飽きた時は、自分の行動様式や思考様式を理解するために記録し、そこからオリジナリティを抽出し、そのオリジナリティを最大限生かす方向に動ければ、(一見して)同じ事象が続くようなものであったとしても飽きることはなくなるのではないかということです。

 

おわり

 

アウトプットできない病の原因を1つずつ潰さんとてするなり

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昨今のビジネス書では、アウトプットこそ至高であり、インプットもアウトプットしながらやらなきゃ身に付かないとか、発信していかないとセルフブランドは高められないとか、考えたことは外に出さなきゃ意味がないとか、色々言われていますが、その多くはアウトプットすることに対する苦手意識について、根本から言及しているものが少ないように思います。

私自身、上記の本をいくつか読み、なるほどと納得した上でアウトプットしようと試みているわけですが、ブログの更新頻度の通り、うまくいっているとは言い難い状況です。日々本を読んだり、考えたりしているものの、手軽にツイートできるTwitterでさえ、やっていないという体たらくなわけです。

アウトプットが必要なことについては、さんざん理解しているつもりですが、どうしても行動ができない。そこで今回は、なぜアウトプットができないのかという原因を洗い出すとともに、解決策について考えていこうと思います。

 

アウトプットとは

アウトプットとは、生み出すことや発信すること、あるいは実績や成果物を意味するかと思いますが、ここでの議論は「発信すること」、特に「インターネットを利用し、特定多数または不特定多数に対して発信すること」としたいと思います。なぜなら、上記ビジネス書等に記載されていることの多くは、WebやSNSを通して社外人脈を作ったり、自分の発言力を高めることにフォーカスされているからです。

 

アウトプットができない理由

では、アウトプットできない理由を考え付く限り洗い出したいと思います。

 

①アウトプットする目的や理由が明確になっていないから

当然ですが、何か行動を起こそうと思ったら、まずその目的を明確にしなければ行動しようとする気さえ起らないでしょう。やりたい!という気持ちで初めて見るのはとっかかりは良いかもしれませんが、続けるというモチベーションにするためには、明確な目的が必要だと思います。目的が明確だとしてもアウトプットできないのは、他の原因がより強いからでしょう

 

②アウトプットする意味を感じないから

そもそも、人に自分の考えを発信することの意味をどうしても見いだせない、と感じているかもしれません。私はこの前MBTI体験セッションを受け、衝撃的だったのですが、外向的な人はある出来事に対して人に伝えるという行為がないと、その出来事が完結したことにならない、というのです。一方、内向型の人はその出来事に対して自分なりの意味付け、解釈ができればそこで完結し、人に伝えるかどうかはどちらでもいいとのことです。内向型の人は、自分が意味を感じたものだけに絞ってアウトプットしていけばいいでしょう。レアな出来事に遭遇したからといって、自分に意味のないものは発信しなくていいのです

なお、MBTI体験セッションは下記を参照してください。感じ方のディスカッションをすることにより、自己認識、他者認識にとても有効でした。

https://www.jppjapan.com/session/

 

③アウトプットする時間がないから

時間がないというと、必ずと言っていいほどプロブロガーからは時間の使い方が下手とか、1ツイート5分の時間も取れないのとか、もっと生産性高く生きようよとか、セイロン(正論)ティーを注がれまくるわけですが、アウトプットする時間がないからの真意は、次の「④アウトプットする優先順位が低いから」に通じます。結局、人間はその時やりたいことをやるようにできていると思われるので、特に最初の読者がいなく、ライティングスキルが低い時に、2時間も3時間もかけて1記事書くのは苦行以外の何物でもありません

 

④アウトプットする優先順位が低いから

初期のブログやTwitterは緊急度と重要度のマトリクスでいえばどちらも「低」です。本業として行っている仕事の方が重要度は高いですし、突然飲みに誘われれば、そちらのほうが緊急度が高いわけです。家に帰って疲れた場合は、休むことの方が重要度が高いので、アウトプットの優先順位は押しやられ、最後は就寝に負けて今日もアウトプットせずじまいになるわけです。これを打破するには、どちらかのレベルを上げる必要があります。緊急度はよほど売れっ子にならない限り上がらないと仮定し、自分なりの重要度を高めたらよいのではないでしょうか。そうなると結局のところは、「①アウトプットする目的や理由が明確になっていないから」に戻ってしまいます。

 

⑤アウトプットすることがないから

これもよく言われることであり、アウトプットなんて何でもいいんだよーなんて言われるわけですが、やっぱりクソみたいな発言をして何の反応もない場合は落ち込むのが人間の性です。インスタなんかで充実した生活を見せびらかさなきゃという使命感に駆られると結局長続きしないみたいなことがありますが、かといって普通の生活を誰が見るのかというジレンマに陥るわけです。そうなってくると、とどのつまり、このアウトプットは何のためにやって、これをすることでどうなりたいのかが先に来てしまうわけです。先のインスタの例でいえば、「充実した生活を見せたい」あるいは、「充実した生活を見せることによって、どこぞの企業からブランドマーケティングのオファーを受けたり、モデル活動をしたい」という目的があるから、普通の生活は見せないわけで、そうなれば自ずとアウトプットすべき内容が決まるのです。つまるところ、アウトプットすることがないというのは、アウトプットする目的を見失っていることにほかなりません

 

⑥アウトプットした後に批判されるのが怖いから

批判された後に考えるべきことです。アウトプットの量が足りない時点で、ほとんどの人に見られず、チラシの裏状態になっています。チラシの裏を家に置いておいて誰が見るのでしょうか。これが、DMや電柱に貼りまくる作戦に切り替えた場合は見てくれる人が多くなりますが、それでもあえて批判する人はほとんどいないと思います。そこまで興味がなければ、批判する時間がもったいないからです。つまり、有名になってから考えればいいことを悩むのはやめましょう

 

⑦自己肯定感が低くてアウトプットに自信が持てないから

自己肯定感が低い場合は、上記「⑥アウトプットした後に批判されるのが怖いから」と同様、批判されるのを恐れたり、そもそもどうせ自分が何か言ったって意味ないしなとか、どうせ誰の役にも立たないから言うのやめとこうとか、そういう考えに至りがちです。ここで考えたいのは、そもそも現代において新しい知識はほとんどないということです。何かを調べたいと思えばすぐに本をダウンロードできるし、Wikipediaを見れば大体の情報は手に入ります。では、なぜブログやSNSが見られるかというと、その人の価値観に基づく解釈だったり、一旦かみ砕かれた内容に興味があるわけです。確かに、同じ考え方をする人は多くいるかもしれませんが、一方でその考え方の結論に行きつく過程には様々な価値観が絡んできます。そのため、誰かしら、価値観の要素が多く一致した人にとっては、有益な情報となると言えるでしょう。

 

⑧アウトプットによる身バレが怖いから

Twitterは本名でやるべきか、やったらメリットがあるよといった類の記事をいくつか見かけますが、一つ言えるのは、身バレして困るような内容は書かなければいいだけかと思います。身バレしたときに、「ねぇねぇこれあなたでしょう?」とか、「こんなん書いてるの、まぢキモ」とか言われるかもしれませんが、そんなことをいう人はそもそもアウトプットをしていなくとも自分のことをよく思われていません。自分の人生において、そのような人たちの言動によって一時的に凹むことと一生生産活動を行わないことを天秤にかけたら、答えは一目瞭然です

 

⑨アウトプットに完璧を求めるから

 自己肯定感が低いことと似てしまいますが、アウトプットに完璧を求める場合は、自分が完全に納得しない限りアウトプットできないか、アウトプットしたとしてもすぐに削除してしまうでしょう。しかし、よく考えてみてください。完璧なものはこの世に存在しません。完璧という言葉を辞書で調べてみると、「一つも欠点がなく、完全なこと」とあります。自分が考えて出したアウトプットは、異なる価値観を持つ他者によって解釈されます。そのため、例えばある製品の良い点について書いたとしても、他の人にとってはそうではないかもしれません。また、事例をたくさん挙げてわかりやすく書いたとしても、他の人にはかえってややこしくなっているかもしれません。すなわち、自分が完璧に書けたからアウトプットした、ということほど読み手のことを考えていないに他ならないのです。なんとおこがましいことでしょうか。

 

⑩アウトプットすること自体に気持ち悪さを覚えるから

 よく言われていることや正論だけど机上の空論などをドヤ顔でいうことに対し、嫌悪感を抱く場合があります。これは「⑥アウトプットした後に批判されるのが怖いから」や「⑦自己肯定感が低くてアウトプットに自信が持てないから」に通ずるところがありますが、さも自分が初めて世の中に意を呈してやったぜ感がハンパなくダサく感じてしまうのです。これは結局のところ自意識過剰なのですが、その嫌悪感から書いては消してを繰り返し、ついぞ投稿しないということがあるのです。これに対する考え方としては、「⑨アウトプットに完璧を求めるから」で示した通り、自分の考えなんてものは正解でもなんでもなく、一つの見方に過ぎず、その解釈によって救われる人もいれば、異論を唱える人もいると認識することではないでしょうか

 

結論として、どうすればアウトプットできるようになるのか

最も大事なことは、アウトプットする目的を自分なりに明確にすることです。目的が有名になるためだとしたら、テーマは何でもいいのでしょうか。決してそうではないかと思います。自分の目的や理由を細分化し、明確にすることが続けるモチベーションになります。

次に考えるべきは、自分の考えは決して完璧ではなく、一つの解釈でしかないから、異論を唱える人もままいるだろうが、救われる人もきっといるはずだと信じることです。正解なんてどこにもないのだから、肩肘張らず、自意識過剰にならず、自分の思ったことを、でも誰かしらのためになることを書きたいものです。

 

以上

 

考えすぎる人は現実世界に降り立とう

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考えすぎる人は、考えすぎるが故に雁字搦めになり、結局行動しないという結論にたどり着くことがあるのではないかと思います。しかし、行動をせずに一人で考え抜いた結論は、往々にして間違っていることもあります。結論が間違っているかどうかも確認せずに、自分の考えは絶対的なものだと結論付け、結局行動しないということは、人生における経験値が増えず、ずっと一人の殻の中で生き続けることになります。

しかし、自分の性格なんだからしょうがない、と思うこともあるわけですが、少しでも改善するために、考えすぎる人の思考と現実世界とどう折り合いをつけるかということについて書いてみたいと思います。

 

考えすぎる人の特徴・思考

ここで考えすぎる人の特徴を網羅的に書くのはあまり意味がありません。それは、コールドリーディングのようなもので、そんなもんわかっとるわとなるからです。最終的に行きつくところを端的に言えば、考えすぎる人は、ズバリ心配性なのではないでしょうか

考えすぎる人と聞いて、楽観的な方向へひたすら考える人や、小難しい哲学やら宇宙心理を考えるような人のことは想像しません。日常社会において、「それは考えすぎだよ」と言われる場面は、あらぬ予測をして、その選択を辞めるべきと決断、提案するときでしょう。

そのように考えると、考えすぎる人の特徴や思考は、何手先の未来も悪い方向へ予測することを習慣としていることになります。

例えば、入学後や就職後の自己紹介でヘマしたらどうしよう、好きな人に告白して振られたらどうしよう、ジムに入会して続かなかったらどうしよう、引っ越してみて合わなかったらどうしようなどなど。

考えすぎる人は、どうしようという不安に襲われて、具体的にどう行動するかという思考を停止することが多いかと思います。「いや、どうするか考えているんです」という人がいるかもしれませんが、大体は同じ考えの行ったり来たりであり、前進していないことも多いのです。なぜなら、ヘマをしない確率を100%にすることも、振られないようにする確立を100%にすることも無理だからです。

 

考えすぎることのデメリット

このようにどうしようどうしようと考えてばかりいるとどういうことが起こるかというと、①チャンスを逃します、②自信がなくなり、より偏った思考になります、③ストレスが溜まっていきます、④自分の殻に閉じこもり、自暴自棄になります。

 

①チャンスを逃すことについて

自分が考え切るのを待ってくれるほど世の中は悠長ではありません。適切な時期に告白しなければ、受け入れてくれるはずはないのですが、どうしようと考えている思考の中には、思考時間が計算に含まれていないのです。

 

②自信がなくなって、より偏った思考になることについて

考えているうちは、想像力を膨らませ、起こりそうもないリスクに備えるわけですが、実際に考えてもみなかったことが起きると、うわー、あの時考えておけば…などと自分を責めるのです。その時の最善の選択肢を取ったにもかかわらず、想定外のことが起こると、自分の軽率さを責めるのです。上述のように、あらゆることは100%カバーすることはできないのに。自分を責めた結果、自分の考えや行動に自信がなくなっていき、さらに肥大な想像力というか、ネガティブな思考を強めていくのです

 

③ストレスが溜まることについて

ただでさえ、考えすぎる人はストレスが溜まりやすいと思います。脳を使うのだから当たり前です。そして、100%の答えがないことを延々と考えるため、とても疲れます。そんな中で、自信を失っていったらどうなるのでしょうか。

 

④自分の殻に閉じこもり、自暴自棄になることについて

もう外の世界とは関わりたくなくなるでしょう。だって、すでに誇大な妄想癖が出来上がっているのに、現実世界はちっとも考えた通りにならないんだから

 

現実世界への着地法

このままでは、考える人が存在意義がないみたいじゃないですか、となるわけですが、そんなことはありません。新しいものを生み出すためにも、世の中を秩序立てるためにも、絶対的に考えすぎる人の力が必要なのです。なんとなくですが、古代ローマでも、戦国時代でも、参謀には徹底的に考えすぎる人たちがついていたと勝手に思ってます。法律家とかもそうでしょう。なんも社会へのインパクト考えない人たちで法律を考えられていたのではたまったもんじゃありません。

現実社会で活躍する人と自分の殻に閉じこもることの決定的な違いは、現実的に地に足がついているかどうかにほかなりません。この世のほとんどあらゆることは100%がない世界でできており、1か100かの単純な計算式では成り立っていないということです。

定年後に年金のほかに2000万円必要ですと言われてうわーどうしようどうしようという人はまさに地に足がついていませんが、評論家が自分の現在の生活費を計算に入れればもっと少なくなる人も多くなる人もいるのでまずは自分の支出を計算しましょう、というのもほとんど意味をなさないのです。なぜなら、数十年後に未来なんて全くわからないからです。確かに、定年後の余力資金は必要です。しかし、予測ができない以上、今考えられるベターな選択肢を取り、都度修正していくことの方がよほど地に足がついていると思うわけです。

すなわち、ここで言いたいのは、その都度ベターだと思える判断をしたら、それ以上不必要にどうしようなどと考えず、行動し、軌道修正すべきことが出てきたら方向を変えればいいという至極当たり前のことです。とは言いながらも、失敗や批判が怖いんですということもあるでしょう。しかしです、失敗したら修正できますが、どうしようと考えているうちは取るべき策がありません。どちらが怖いでしょうか、一時の失敗と一生自分の殻に閉じこもるのと

現実世界に降り立つためには、現実世界で行動しなければなりません。一つ行動したら、知見が広まり、それが思考に深みを与えます。そのプロセスを経ず、ずっと考えたところで、前には進んでいないのです。

 

結論

ここに書いたことを10年前の自分に言ってあげたいです。

 

以上

 

仕事に行きたくないときのマインドセット

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三連休明けの火曜日、それは最も仕事に行きたくなくなる日のうちの一つと言えるでしょう。前日夜から憂鬱な気持ちになり、その憂鬱さは朝まで引きずり、ひいては会社に行っていざ仕事をするまでモヤモヤしているかもしれません。

では、そんな気持ちを軽減し、少しでもストレスのない状態で連休明けを迎えるためにはどのようなマインドセットを持てばいいのでしょうか。

 

仕事に行きたくない原因

「明日嫌な仕事をしなければならない」、「苦手な客と会わなければならない」、「上司に会いたくない」、「納期に間に合うか心配だ」などなど、仕事に行きたくない原因はさまざまにあるかと思います。

仕事に行きたくない原因をはっきりさせなければ、その対処のしようがないため、漠然と"仕事に行きたくない"病を抱えることになります。原因がわからないまま、行きたくないと思い続けながらも、結局行き続けるのは、嫌いな食べ物を問答無用で食べ続けることと同じようなものです(味やにおいが嫌い、というのはありますが、その味やにおいが嫌いな理由はないですよね)。そんなことをしてしまったら、拒否反応で吐いてしまいます。

 

仕事に行きたくない原因を考えてもなお行きたくない場合

仕事に行きたくない原因が分かったとて、「ヨシ、仕事を辞めよう!」、あるいは、「ヨシ、明日は休もう!」とはならないかと思います。また、「明日はあれが嫌な仕事だから、朝一でそれを処理して、午後はあれをやって…」とか考えられる人は、そもそも仕事に行きたくないと思ってもほんの一瞬です。

僕のように考えがちな人たちは、頭の中で仕事に行きたくないという考えがぐるぐる回っています。①仕事に行きたくない⇒②明日嫌な仕事をしなければならない⇒③明日さえ我慢すればいい⇒④でもやっぱり行きたくない⇒以下、ループ…となる場合は、思考のループ、すなわち、反芻思考に陥っている可能性があります

反芻思考
[ハンスウシコウ]

「反芻思考」とは何度もネガティブな出来事を思い出し、悩み続けて抑うつ気分を増長させる考え方のことをいいます。もともと反芻とは、牛などが食べ物を消化するために一度胃に入ったものを口に戻し、繰り返し咀嚼(そしゃく)すること。ネガティブなことを何度も思い出して落ち込む行動が動物の反芻に似た反復行動であることから、反芻思考と呼ばれるようになりました。反芻思考は医学的には「抑うつ的反芻」と呼ばれており、うつ病や不安障害、強迫性障害などとも関係があるといわれています。
(2019/6/13掲載)

引用:メンタルヘルス.jp http://hr-mental.jp/newglossary/dtl/id:1056

このような思考のループに陥った場合、思考を断ち切るため、何も考えないこと(あるいは、自分の状態を見つめ、感情や思考に気付くこと)、すなわち、マインドフルネス瞑想を取り入れることが解決のヒントになると言われています。

つらい気分や心配事などは未来や過去について考えられるものです。"仕事に行きたくない"ということもまた、未来に対する感情であり、今現在起こっていないことに対して心がとらわれた状態といえます。

 

合理的な選択をする

とはいえ、マインドフルネス瞑想は良い良い言う人が増えてきましたが、未経験の人が一回やってこれであってるのかなぁと思うのも無理はありません。もちろんやってみて効果があれば、それに越したことはありませんが、より合理的な手法を求める人には、別の方法があります。

それは、古典的ではありますが、メリット・デメリットを書き記す、ということになります。以下は明日バージョンになります。例えばの想定です。

  メリット デメリット
明日仕事行く ・辛くても頑張ったと思える ・辛い思いをする
明日仕事行かない ・嫌なことから一時的に解放される

・休んだことについて何か言われる
・明後日仕事に行きたくなくなる

明日バージョンだけでは、デメリットの方が大きいと思いますので、おそらく「行く」という選択肢になるのではないかと思います。しかし、これを1年後バージョン、3年後バージョンなどの長期的な視点で書いてみると、今の会社に留まるか、別の会社に行くか、ということを現実的に考えられるようになります。以下は3年後バージョンです。

 

  メリット デメリット
3年後も同じ会社にいる ・動く労力がかからない ・仕事に行きたくない衝動が定期的にあり、その都度辛い思いをする
・良い環境に行ける可能性が少なくなる
3年後は別の会社にいる ・辛くない状況が待っているかもしれない
・待遇が良くなるかもしれない
・動く労力が必要
・今より悪くなる可能性がある

1年後はそれほどダメージがないけれども、3年はいたくないなぁと思うかもしれません。そう感じた場合は、3年後までに異動等のイベントがない限り目標を3年後に設定して、別の会社に行くことを決めます。期限がついている場合、終わりが見えるので気持ちが楽になります(もちろん、新たな行動をするという労力が必要にはなります)。

3年後に期限を設定したとした場合、明日は「行く」という選択肢しかありません(一時的な休みはあるかと思いますが)。「明日は行かない」という選択肢を切った以上、「明日行きたくないなぁ」と考えることは時間の無駄になります

また、前述した反芻思考に加え、一度決定した事柄について、もう一度あれやこれやと考えたり、あの時の判断は失敗だったのではないかと後悔することは、脳に大きな負担を与えている、ということを経験則でわかっているでしょう(もちろん、再度意思決定をすることを悪いと言っているのではありません。決定したことについてすぐにこれでよかったのかなぁと思い悩むことについて言っています)。

 

仕事が行きたくないときに取りえる行動の結論

・仕事が行きたくない原因を考える

・自分が反芻思考に陥っていることに気付く

・マインドフルネス瞑想をやってみる

・明日行くメリット・デメリットを書いてみる

・1年後、3年後も同じ会社(仕事、部署)にいるメリット・デメリットを書いてみる

・決めたら、決めなかったほうについてもう一度掘り返さない

 

自分の脳みそを適切に使いたいものです。

 

以上

 

どうやって完璧主義を辞めるか

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photo by Stock Up

考えすぎる人の多くは完璧主義であるだろうことが容易に想像できます。なぜなら、考えすぎるからこそ、細部に目が行くからです。細部まで目が届くのは、ある意味ではいいことですが、度が過ぎてしまうと疲れてしまいます。

私は仕事でもそうですが、メールを打っては何度も確認し、ヨシと思ってから送信していました。他にも、他人が掲示物を貼るとき、斜めにズレているのが気になったり、整然とされていない資料にひどくヤキモキしていました。

時になぜこんなに細かいことにこだわっているんだろうと思いながらも、手を抜けない自分に自己嫌悪したりもしました。そんな完璧主義な方々は、どうやって完璧主義を辞めるのが良いのでしょうか。

 

完璧主義とは

Wikipediaから引用させていただきます。

完璧主義(かんぺきしゅぎ、Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。

出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E7%92%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9

上記から完璧主義の特徴として、①過度に高い目標基準を設定する、②自己に厳しい自己評価を課す、③他人からの評価を気にする、の3つが挙げられます。

つまり、失敗を許さず、プライドが高いため、人の手も借りず、承認欲求に敏感な人のことです。理想が高いのに極度に失敗を恐れているため、そのギャップに苦しんでいる人も多いはずです。そして、失敗を恐れている理由は、他人からの評価が悪くなるため、とも言えます。

 

完璧主義は本当に完璧なのか

では、完璧主義な人は本当に完璧なのでしょうか。完璧とは何をもって完璧なのでしょうか。

私は子供のころ、同級生から「完璧主義だよね」と言われたことがありました。しかし、部屋は昔から掃除ができず、内気で友達も少ない、人前では極度に緊張してしゃべれないのにどこが完璧主義なんだと思ったものです。

このように考えると、私が完璧かどうかはその人に見せている部分だけでしか判断できないということです。では、なぜ私は完璧主義だと思われたのでしょうか。それは、私が他者に見せる部分においては、手を抜かない性格だったからです。

すなわち、人から良く思われたいがために勉強し、細かく完璧なまでに発表し、人知れず努力するのです。そして、人に見せる部分については、こうあらねばならない、という理想像が私の中に出来上がっていきました。

おそらくですが、これを読んでいる完璧主義の方も、自分がすべて完璧でないことには気づいていることでしょう。そして、完璧なある一部分は、他人に見られる部分が主ではないでしょうか。

 

完璧主義の原因は何か

では、どうしたら完璧主義を辞めることができるのでしょうか。まず第一歩として、あなたがなぜ完璧主義なのかを自問自答する必要があります。あなたのその○○しなければならない、という思考は、誰のためのものでしょうか。自分のためでしょうか。それとも他人のためでしょうか。

完璧主義の原因の一つとして、幼少期に条件付きの愛でしか愛されなかったことが挙げられます。これは、例えばテストの点が良かった時だけ愛し、テストの点が悪いと愛さない、といったことです。このような環境下では、人から認められるような成果を出さない限り、自分の存在意義を確認できず、自己肯定感を持てないようになります。そうなれば、高い目標を掲げ、それを達成することで承認されることを目的とした完璧主義志向になることは必然のように思います。

つまるところ、完璧主義とは、承認欲求が極度に強いため、その欲求を満たすべく行ってきた行動の積み重ねで成り立つイムズといえます。

 

完璧なものはこの世にあるのか

そもそも、完璧なものはこの世に存在するのでしょうか。私が思うに、完璧なものは存在しません。なぜなら、完璧かどうかは人によって、時代によって、国によって異なるからです。例えば、スラっとしたモデルであっても、女性の肥満は美しさと富の象徴であると考えるモーリタニアでは完璧ではありません。完璧に書いたと思える文章であっても、1年後に見返せば恥ずかしい思いをするわけです。すなわち、完璧と思える人も、完璧と思えるモノも、完璧と思えるコトも、人によっては0点にも、50点にも、120点にもなりえるのです。

 

どうやって完璧主義を辞めるか

上記から、どうやって完璧主義を辞めるかをまとめてみます。

①完璧主義は自分のためにやっているのか、それとも他人に認められたいからやっているのかを自問自答します。なお、完全に自分のためにやっている場合は、こだわりでしかないので特に辞める必要もないのではないかと思います。

②この世の完璧なものを探してみます。

③この世に完璧なものなどなく、自分の思う完璧も、他人からすれば完璧じゃないかもしれないことに気付きます。

④完璧でない自分を受け入れます。

 

結論

人は完璧になれません。自分も他者も完璧ではないことを受け入れると心が穏やかになれます。

 

以上

 

 

 

目標を立てるもののそのほとんどが計画倒れする理由

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photo by Stock Up

 

台風が来るたび、防災グッズを買っておこうと考えるものの、過ぎ去ってしまえば、まだ買うのはいいかとか、部屋が狭くなるしなぁとか考えて、結局買わないままなわけです。

こんな風に、何かやろうと思っても、実際はやらなかったことが事の大小を問わずあるかと思います。ブログ、資格勉強、習い事、ランニング、ダイエットetc...

僕は計画を立てることが多々あります。スライド何枚にもわたる行動計画を立て、よしやるぞと意気込んだものの、3日で忘れてしまう、あるいは、覚えていてもとりあえず今日はいいか、と実行を続けることができません。はたまた、計画を作って何もやらなかったということも度々あります。

これはなぜなのだろうと考えたので、ここに記します。

 

何かを始めるということ

人に与えられた時間は24時間です。それ以上になることも、それ以下になることもありません。

何かを始めるためには、始めるだけの時間を捻出する必要があります。例えば、英語を母語としない日本人が、日本語を介さずに英語を理解できるようになるには、1年で1000時間の学習が必要だとアルクに書かれていました。

https://ec.alc.co.jp/lp/product/h4_course/

 

1年で1000時間の学習時間を確保するためには、1日当たり約3時間は英語に費やさなければなりません。とすると、当たり前ですが、他のことに充てていた3時間を犠牲にする必要があります。

初めはよしやるぞ!と意気込んでいたとしても、学習2日目に飲み会や残業が入ってしまった場合、3日目で6時間学習しなければ取り返せないことになります。そうこうするうち、やる気がだんだんなくなって辞めていくのではないかと思います。

 

では目標を少なくしたらいいのではないか

1日3時間ができなかったからって次の日6時間はやりすぎ。もっと目標を低く設定したらいい。という意見があります。

ここで、3年1000時間の計画を立てるとします。そうすれば、学習時間は1日1時間に抑えることができます。しかしながら、さらにここで2つのことに気付くのです。①1日1時間では少ないのではないか。3年設定は長すぎるのではないか。②1日1時間も学習時間を取れない。

基本的に、目標を立てても行動しない人の頭は未来にあると思います。そのため、将来身につくであろう能力が、この計画のもとに早く手に入れたい、どうせこの計画通りやれば手に入るんだから早く終わらせたいと焦る一方、この計画性を横展開すれば、他にもいろんな能力が手に入るんだから、一つのことに1時間もかけられない、というジレンマに陥ります。

この状態はまさしく自己啓発本を読んで、実行した気になっていると同じような状態です。

 

そもそも三日坊主さえもならない人は

上記のような状態が強く表れてしまうと、そもそも3日坊主というより、1秒坊主になってしまい、何も実行しないという状態になります。これが、昔でいうところのにちゃんねるで批判ばっかりしていた人たちです。では、1秒坊主の人たちは何から始めたらよいのでしょうか。

3日坊主を克服するためには、「習慣化する」、「確固たるモチベーションを持つ」といったことが挙げられますが、1秒坊主の方々はそもそも踏み出すことすらできていません。

彼らに必要なことは、計画を練らずに始めるということです

 

認知が先か、行動が先か

何か出来事が起きた際、ネガティブに捉え、結果落ち込んだり、積極的な行動や挑戦ができなくなることがあります。例えば、朝上司にケアレスミスを報告した際、強い口調で叱られたとします。この状況について、「うわっ、最悪だ」、「あんまり報告したくないから極力話さないようにしよう」とか、「どうして自分はいつもミスばかりするんだ」、「あぁ、上司に嫌われてしまい、今年は最低評価だ」などと思うかもしれません。しかし、上司はただ単に朝が弱いだけかもしれないし、家を出る前に奥さんに怒られたからかもしれないのです。この不健全な認知を辞め、心のストレスを軽減していく方法を認知行動療法といいます

参照:https://www.iidabashi-mental.jp/treatment/cbt.html

 

では、この認知行動療法と1秒坊主はどのような関係あるのでしょうか。

一見すると、上記の1秒坊主の例では認知の歪みなどなさそうに思えますが、実際は行動していないにもかかわらず、計画が完璧であると認知しているのです。そのため、行動すれば完璧にその通りの結果が得られると思っており、結果に対して興味がなくなっているという状態だと考えられます。

しかし、実際に行動をしてみると多くの困難や想定外の課題が見つかってきます。例えば、英語を学習し始めてインプットしているときは順調と思いますが、いざ海外ネイティブを相手に話そうと思うとうまく伝わらなかったり、聞き取れなかったりします。それらは行動してみないとわからないことです。彼らに必要なことは、念入りな計画をはじめに立てるのではなく、計画なしにやってみてから、必要に応じて計画や目標を立てることです。そして、行動によって今までの認知を適切な方向へ変化させることです。

今までの計画が適切なものでないと知った暁には、地に足の着いた目標や計画が立てられるようになり、着実な行動ができるようになると考えられます

 

なぜまずやってみるということができないのか

しかしながら、このように頭ではわかっていながらも、いざ行動を起こそうとするとブレーキがかかるのが僕です。それはなぜなのだろうと考えてみたところ、どうやらユングの心理学的類型論をもとに作られたMBTIがカギを握っているようです。

気になる方は以下の2種類をどうぞ

https://www.16personalities.com/ja/%E6%80%A7%E6%A0%BC%E8%A8%BA%E6%96%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88

https://16test.uranaino.net/

 

MBTIについては、以下でセミナーをやっているようです。11月のものに参加します。

https://www.jppjapan.com/session/

 

結論

・目標を立てて満足する人はまず行動しよう。

・行動して自分の立てた目標や計画が適切でないことを認知しよう。

 

以上