人生に飽きたから本気出す

人生に飽きた内向的な男が幸せになる方法を真剣に考えるブログ

仕事に飽きたとき、自分を見つめなおしてみんとてするなり

 

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photo by Stock Up

なぜ仕事に飽きるのか。飽きをどのように受け入れるのか。これを考えることによる恩恵は、この先100年時代において、重要だと思います。残念ながら、すべての人が満足の得られる仕事をしているわけでもなければ、私もまた然りです。

そこで、今日は「なぜ仕事に飽きているのか」、「飽きるとはどういうことなのか」、「飽きないようにするためにはどうしたらいいのか」ということについて、考えようと思うわけです。

 

なぜ仕事に飽きてしまうのか

まず考えなければいけないのは、「飽きる」という単語を正しく使用できているか、ということになりますので、辞書を引いてみます。

あ・きる [2] 【飽きる・厭きる】

( 動上一 )
四段動詞「あく」の上一段化。近世江戸語以降の形〕
 同じ物事何度も続いていやになるいやになって、続ける気がなくなる。 「パン食に-・きる」 「仕事にすぐ-・きて長続きしない
 満ち足りてこれ以上はいらなくなる。 《飽》 「好きな物を-・きるほど食べたい
 動詞連用形の下に付いて、いやになるほど十分に…する意を表す。 「見-・きる」 「そんなせりふは聞き-・きた」

 出典:三省堂大辞林第3版

 仕事上において、②のパターンはなかなか少ないと思いますが、例えば人気絶頂の芸能人がスパっと辞めるのなんかは、もしかしたらこれにあたるのかもしれません。しかし、この記事が対象とするのは、多くのサラリーマンが感じるであろう①のパターンとしたいと思います。 

では、「同じ物事が何度も続く」状態について考えたいと思います。

 

「同じことが何度も続く状態」とは

仕事の性質にもよりますが、全くの同じことが何度も繰り返し続く状態というのは、おそらく相当にまれです。例えば、実態はわかりませんが、刺身にタンポポを乗っけるだけのような仕事はその良い例でしょう。

事務職だろうと営業職だろうと企画職だろうと同じことの繰り返しであることを嘆き、飽きている人がたくさんいることは、新橋の居酒屋に入ればすぐに理解できます。しかしながら、前述のように全く同じ仕事はおそらくないと思います。顧客が変わる、案件が変わる、金額が変わる、処理が変わる、人間関係が変わるなどなど、同じでないことを示す要因はたくさん考えられます。それでも、同じであるように認識して、仕事に飽きているのは、業務フローとかマニュアルとか、あるいはもっと大きく抽象的な企業風土とかそういった枠組みの中でしか行動できていない、その枠組みのなかで何度も同じような処理や考え方をしていると思っているのではないでしょうか。それはある意味、組織にフィットしていきながら、自分がその業務について習熟しつつあるという点において有意義であるといえます。就業したての頃はすべてが新しい業務に思えていたわけですが、今はすべて同じような業務であると認識できているのですから、一段階自分の視野が上に移り、より抽象的に考えられるようになったと言っていいでしょう。

その一方で、同じであると認識することは、先に述べた通り、飽きの感情を生み出し、モチベーションの低下につながります。では、どうしたら今やっていることが同じでない、新しいものであると認識できるのでしょうか。

 

同じ事象の繰り返しであると認識しないために

ここで言いたいのは、日常生活に変化をつけましょうだの、新しいことを始めてみましょうだのといった安直な提案でもなければ、仕事にフルコミットしましょうだの、初心に戻りましょうだのといった精神的な解決案でもありません。結論から言ってしまえば、やりたいとか考えずに既にやってる行動や考え方の幅をより広めたりしたらどうですかということです。

ここで自分の例を出します。私は新卒後に就職して違和感を持ち始めてから、ずっとやりたいことを探してきました。これには2つの理由があると思っていて、1つには、やりたいことをやっている(ように見える)人がよく目につき、うらやましく思えたこと、もう1つには、やりたいことをやったほうがいいという自己啓発本の方がよく目につき、感化されたことです。そのため、ずっとやりたいことは何なのかを探してきたわけですが、結局、小さなやりたいことやその時々でやりたいことはありますが、いわゆる成功本に書かれているような寝食も忘れて取り組めるようなものには出会えなかったわけです。小さくてもやりたいことがあるんだったらやれよというのが、一般的な見解かと思うのですが、どうやら私は「やりたいこと」にずっと幻想を抱いていたため、休む暇なく取り掛かれるレベルのものを探し続けていたのでした

そういった幻想を抱きながら仕事をしていると、「私がやりたいのはこんな事じゃない」、「もっとやりたいことがあるはずだ」、「自分はやりたいことができればもっとやれるはずだ」、「こんな場所に留まるべきじゃない」などといったある種言い訳がましい考え方をするようになったのです。するともう仕事にコミットするどころではなく、やる仕事全てが同じことの繰り返しであったり、ひどくつまらないものに思えたのです。

そうこうしながらも、長く働いているともう一方の自分が顔を出します。ずっと幻想を抱き続けている自分に対して冷ややかな目を送る自分です。「やりたいことなど存在するのか」、「今の環境から目を背けているだけではないか」、「夢を追っている自分に酔うことによって、自尊心を保とうとしているだけではないか」などの声が聞こえてくるのです。そして、私は未来の可能性をずっと追ってきましたが、過去の実績や自分の状態について深く顧みることをしてこなかったことに気付いたのです

そこで私は自分の行動、特に仕事中の感情の起伏だったり、無意識的な仕事の進め方だったり、メールの文面や発する言葉に注意し、逐一記録を取っていきました。すると自分の属性ともいうべきオリジナリティが見えてきたのです。

 

やりたいことだから飽きないのか、オリジナリティがあるから飽きないのか

ここからは私の推測になりますが、好きなことをずっと続けている人に飽きるということはないのではないかと思います。例えばですが、ピアノを幼少期のころからやり続けけ、成人以降も続けている人は、おそらく曲を覚える、練習する、曲を弾けるようになる、披露する、コンテストにでる、など同じことの繰り返し(に見える)にいるかもしれませんが、それでも飽きるということはないでしょう。

ここで言いたいのは、やりたいこと、好きなことだからそのようにできている、ということではなく、ピアノに取り組むときのオリジナルな思考法だったり、感じ方があり、それが最大限発揮されるから、飽きることなく続けられるのではないかということです。

かなり抽象的な話になり、私自身最適に言語化できないもどかしさがありますが、例えば、売れる営業マンは自分なりのフレームワークを駆使して、契約を増やしているという事例を想定してみます。この営業マンは最初は右も左もわからず、受注も全然取れなかったが、自分なりに工夫してみたところ、契約を取れるようになり、やりがいを感じ始めました。よりステップアップしたいと思い、金額の高い商材を扱う会社に転職しましたが、そこの営業はマニュアルに沿ってやらなければならなかった。一方は自分が編み出したやり方、他方はマニュアルで、どちらも軌道に乗れば、「同じことが何度も続く」状態でありますが、圧倒的に満足度が高いのは前者でしょうし、前者なら飽きることはあまりないのではないでしょうか。

 

裁量が認められるところに行けばいいのか

先の例から、裁量が認められるところに行けばいいのではないかという話になりますが、必ずしもそうではありません。なぜなら、自分のオリジナリティは人それぞれ異なるものであり、完全なる裁量が認められたとしても、それが自分にベストフィットするとは限らないからです。人から言われた指示を正確にこなすほうが心地よく感じる人もいれば、誰かの右腕として働くほうが性分に合っている人もいます。ではどうしたらいいかと言いますと、仕事はもとより、プライベートにおいても、どのような行動や思考を自然と行い、それに対して心地よさを持っているかをしっかり知ることが先決になるのではないかと思うのです。もちろん、その行動様式や思考様式がそのまま仕事に活きない可能性もありますが、少なくともそれを取り入れられれば、飽きることはなくなると思われるわけです。なぜなら、自分にとってポジティブで自然と行う行動に飽きもクソもないからです。

 

結論として、どこから手を付けるか

よく人それぞれだよね、と言ったりします。また、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」を読んで、小学生ながらに、みんなちがって、みんないいんだと思ってきました。このことは頭では理解できるものの、みんな違っている部分、特に自分についてしっかりと認識し、理解できているでしょうか。自己啓発本や検索結果で出てきたブログ、上司や友人など他人からのアドバイスは一部有用であるものの、完全に自分にフィットするわけではありません。この仕事飽きるよね~などと同僚に愚痴をこぼしてみても、アドバイスを求めてみても、それは完全に有効なものではないのです。そして、どのアドバイスが自分に有効かは、自分を知らなければ大きく的を外すことにもなりかねないのです。

長々と書いてきましたが、一番言いたいことは、仕事に飽きた時は、自分の行動様式や思考様式を理解するために記録し、そこからオリジナリティを抽出し、そのオリジナリティを最大限生かす方向に動ければ、(一見して)同じ事象が続くようなものであったとしても飽きることはなくなるのではないかということです。

 

おわり