優柔不断を解決する最もラクな方法はやらないことリストを作ることである
日本には「空気を読む」文化があるため、自分の意志にそぐわず、周りの様子をうかがってから行動する機会も少なくない。
しかし、その結果、自分のやりたくないことをやって疲れ切っているのみならず、他人に合わせた生き方をしているために、優柔不断になっているように思える。
私も優柔不断だった。
いつも自分の行動に迷いがあった。本当はやりたくないことも他人の顔色を窺って生きてきたために、「自分で決める」ということがおろそかになった。
その結果、例えば、外食の際は自分で食べたいものを決めればいいのに、今自分が何を食べたいかわからなくなり、メニューを決めるのも時間がかかるようになった。
そんな優柔不断な性格を改善するためには、やらないことだけ決めておくことが最もラクで効果的だったので紹介したい。
優柔不断とはどんな状態か
辞書によると、優柔不断とは、グズグズしていて、決断が鈍い状態、つまり、自分の意志で決断する力がない状態である。
では、優柔不断な人は自分の意思で決断できなければ、どうやって物事を決めたり、行動するのか。それは冒頭でも書いた通り、他人や周りの意見や様子、世の中の流行や風潮を行動基準として生きているのである。
つまり、優柔不断は、自分の行動基準を持っておらず、他人や周りを行動基準としていることである。
例えば、「今日ご飯何食べる」って言われて常に「なんでもいいよ」と答えるのは、自分で決断できず、他人任せの状態であるため、これも優柔不断と言えるだろう。
なぜ優柔不断なのか
自分の行動基準を持たず、自分で決断してこなかったからとしか言いようがないだろう。
では、なぜそのようにしてこなかったか。いや、そのように生きてこれなかったのか。
第1の理由として、親の教育を、第2の理由として、生まれてから今までの個人の経験を挙げたい。
第1の理由:親の過保護教育
幼少期に親が過保護な場合、自分が判断すべきところや対処すべき問題に対しても、親が代わりに行動し、解決してくれる。
例えば、親が自由研究の題材を決め、結論をどうするかまで考えてくれたり、自分の交友関係に対して、「あの子とは仲良くしちゃダメ」などと口を出してきた場合、自分で考え、行動する機会が制限されてしまう。
その結果、優柔不断どころか、悪ければ自立さえも難しい状態になる。
第2の理由:個人的な経験(虐待、いじめ、パワハラのトラウマ等)
虐待やいじめ、パワハラなどを受けている場合、相手の機嫌や顔色をうかがいながら行動するようになる。
なぜなら、自分の意思があるほうが相手の機嫌を損ねてしまい、より自分が精神的に追いやられてしまうからである。
つまり、自己防衛的に、自分の考えを持たないように努力することになり、結果、自分の意志で行動ができなくなる。
以上から、優柔不断の原因としては、「外部環境に依存した結果、優柔不断にならざるを得なくなったから」と言えるだろう。
優柔不断のデメリット
優柔不断はのデメリットはたくさんある。外部的なデメリットと内部的なデメリットを1つだけ挙げるならば、以下の通りだろう。
外部的な一番のデメリット:人間的な魅力に欠ける
常に他人基準で行動している人は、自分の軸を持っている人に比べ、人間的な魅力は感じられない。
なぜなら、その人らしさがないため、付き合うとしても、その人である必要はないからだ。
例えば、ブランド物はそのブランドにしかないコンセプトや特徴がある。その唯一無二の特徴があるからこそ、多くの人から称賛される。
二番煎じのものや模倣品に魅かれないのは、より素晴らしいもの(オリジナル)があるのに、それを選ぶ理由がないからだ。
内部的な一番のデメリット:時間のロスが大きい
人間の時間は有限だ。時間は生まれながらにして平等に与えられている(時の流れという意味で)。
優柔不断で行動に時間がかかる人と、決断力がある人でどちらが人生のうちで多くのことをできるか。
なぜやらないことリストが優柔不断に効くのか
優柔不断の理由は、自分の意思がないからである。であるならば、自分の意志に基づいた行動基準を作ればいい。
つまり、自分が考えに考え抜いて、やらないことをリスト化することである。
今までは相手や周りの顔色をうかがって生きてきたわけだから、自分がやりたいことややりたくないことに関わらず行動してきたわけだ。
だから、本当はやりたいことややりたくないことがあるはずである。それをまずは言語化し、自分の中で明確にすることが、行動基準を持つということだ。
しかし、やりたいことリストでは、優柔不断には効きにくい。なぜか。
やりたいことリストにおいてやりたいことを100個挙げたところで、いつかやるなどと期限を決めなかったり、色々理由をつけてやらなかったり、やっぱりやりたくないかもなどと改めて思い直したり、これをやったら恥ずかしいかも、などと余計な判断材料が入ってしまい、自分の決断を阻害する恐れがあるからだ。
優柔不断がなかなか改善されないのは、判断材料が多くなればなるほど決断できないところにある。
やっぱりこっち!と思って一度は決断したものの、後から何かを言われてその決断を変えてしまうことがある。
つまり、余計な判断材料が入るような行動基準は優柔不断な人にとってラクではない。
その点、やらないことリストは一旦決めてしまえば、後から余計な判断材料は入りにくい。なぜなら、自分の価値観にフォーカスしているからである。
やらないことリストをどのように作るか
今まで述べてきたように、やらないことリストは自分の価値観にフォーカスした行動基準のようなものでなければならない。
例えば、会社の飲み会に行きたくない、ということを考えてみる。あくまで筆者の会社を想定しているため、そもそもそんなのは無理!という場合は、エッセンスだけ感じ取っていただきたい。
「会社の飲み会に行かない」という行動自体をダイレクトにやらないことリストに入れた場合、後から余計な判断材料が入ってしまう。
仲の良い同僚に誘われた場合は行くのか、儀礼的にあるオフィシャルな飲み会は行くのか、上司に誘われた場合は行くのかなどと様々だ。
そして、実際にその場面がきたときに自分の心が揺らいでしまう。やらないことリストに入れたのに、行動基準となっていないのである。
そのため、やらないことリストに入れる内容は、なぜその行動をとりたくないかをじっくり考え、自分の価値観にフォーカスしたものでなければならない。
思考プロセスは以下の通り。
例:「会社の飲み会に行かない」
なぜ①⇒飲み会は大人数で騒がしいから自分に合っていない
②⇒少人数で静かなら
①⇒薄っぺらい話をするのが苦手
②⇒濃い話がしたい
①⇒時間がもったいない
②⇒毎回似たような話にならないなら
①⇒上司の説教を聞きたくない
②⇒楽しくおしゃべりしたい
①⇒愛想笑いをするのが嫌だ
②⇒心から楽しくおしゃべりしたい
したくない行動に対して、①なぜやりたくないかを列挙する、②どういうときならやってもいいのかを裏返して考える、のステップで考えると、自分が大事にしている価値観がわかる。
上記例では、大事にしたいこととして①薄っぺらい話や愛想笑いがしたくない、②少人数で深く話したい、という価値観が抽出できる。
更に深化させると、①話が薄っぺらい=自分にとって興味がないような場合は愛想笑いになる、②大人数になると多くの人と話す必要性が高まり、当り障りのない話に終始する可能性が高まるから少人数がいいが、当り障りのない話に終始しければよい、と考えられる。
したがって、この場合のやらないことリストに入れるべき内容は、私なら例えば、「愛想笑いになることが想定される飲み会や行事はすべて行かない」とする。
この時、愛想笑いが想定される場面をより具体的にすれば、さらに判断材料を少なくすることができ、瞬時にこの飲み会は行かないと決断できるようになる。
以上から、やらないことリストを作る際は、ただ行動を書くのではなく、行動がなぜやりたくないのか、どうだったらやってもいいのかを考えることで自分の価値観にフォーカスすることが重要である。
なお、ラクな方法とした理由は、人間は基本的にラクな方向に流れる生き物であるため、行動する必要のあるやりたいことリストよりも、行動しなくてもよいやらないことリストのほうが力を使わなくてよいからである。
まとめ
・優柔不断は、他人の顔色をうかがってきた結果である。
・優柔不断を治すためには自分の行動基準を作る必要がある。
・行動基準は、自分の価値観にフォーカスしていないと余計な判断材料が入ってしまい、優柔不断が改善されない。
・優柔不断を改善するためには、やりたいことリストよりもやらないことリストを作ろう。
・やらないことリストは、ただ行動を書くのではなく、なぜその行動がやりたくないのか、どうだったらやってもいいのか、というところまで考えよう。
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