人生に猛烈に飽きたとき、人はブログを始める
今年で30歳。
特に不自由なく、敷かれたレールの上を歩いてきた。
将来安泰の会社に入り、大企業特有の調整業務をひたすらやる毎日。
自分の人生はこれでいいのだろうか。
とにもかくにも人生に飽きてきた。だからこそブログをはじめてみる。
1 人生に飽きるとは
人生に飽きた状態とはどのような状態だろうか。
飽くとは以下のような状態である。
あ・く 【飽く・厭▼く】
( 動カ五[四] )出典:Weblio辞書
すなわち、人生に変化がなく、同じ状態が続いており、これ以上生きても仕方がない、もうたくさんだ、という意味である。
なお、飽くには満足したという意味があるが、私は決して満足はしていないため、ブログを書いてみる所存である。
では、変化がなく、同じ状態が続いているとはどういうことか。
毎日決まった時間に起き、決まった時間に出社し、適当にルーティーンな仕事をこなし、意味のない打ち合わせを何時間も行い、気づいたら夜で、会社と自宅を往復するだけの状態が月曜から金曜まで続いており、土曜と日曜は体力を回復するだけのルーティーンに陥っている状態のことである。
つまり、人生が変わり映えのしない、つまらないものであるということである。
私はまさに大企業の歯車であり、生産性のかけらも生み出していない。
2 なぜ飽きるのか
なぜ飽きるのだろうか。同じ組織にいても生き生きしている人とそうでない人がいる。
はたから見たら人生うまくいってなさそう(失礼ではあるが)、人生楽しそうな人はいくらでもいる。
その違いは何か。
仮説その①
・プライベートでも大企業特有の減点方式を採用しているから
⇒いつの間にか保守的な人間になってしまい、打算的な考えがプライベートにも働くようになった場合、リミッターが外れないため、つまらなく感じてしまう。
仮説その②
・そもそも内向的(または内気)であり、ウェーイ系の人間とは相反するから
⇒内向的(または内気)な人間は気が内(すなわち、自分)に向いている。しかし、世の中の人に対する評価はいかに外交的か、友達が多いかが評価基準となっている。そのため、本来内向的なのに、外交的な尺度で自分の人生が楽しめているかを測ってしまい、自己嫌悪に陥り、つまらなく感じてしまう。
仮説その③
・ネガティブで卑屈だから
⇒そもそも人生に対して悲観的であるため、人生はつまらないだろう。
仮説その④
・外部の刺激に対して耐性がありすぎて何をしてもつまらなく感じるから
⇒何をやっても楽しいことがすぐにつまらなくなってしまう。究極の刺激を求めて薬に手を出すのがこのパターン。
仮説その⑤
・すべての事象に対して俯瞰的な目を持っており、何をやっても結果がわかるから
⇒神様がこのパターン。
ちなみに、自分は仮説①、②、③が当てはまる。
3 どうすれば飽きないか
では、どうすれば人生が飽きなく、十分に楽しいものとなるのだろうか。
それをこのブログで検証していきたい。
最終的には著者である私がハッピーになり、このブログが閉鎖されるのが一番の目標である。
4 まとめ
全然まとまっていないが、無理やりまとめると以下のとおりである。
- 本ブログは、プライベートでも減点方式を採用し、
- 内向的(または内気)かつ、
- ネガティブで卑屈な著者が、
- 30歳を迎えるにあたり、本気で人生を変えようともがき、
- その過程を公開するブログである。
なので、少しでも似た境遇の方は応援をいただきたい。
コメントについては、自分を客観視するためにもどんどん受け付けていきたいので、
少しでも思うところがあれば記入いただきたい。
以上、閲覧いただきありがとうございました。
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