夏休み明けに自殺しようとしている学生に想いをはせて
今年もまた夏休みが終わり、2学期がやってくる。
毎年、夏休み明けに中学生が自殺したというニュースを聞くたび、胸が苦しくなる。最近は小学生でもそういったニュースを見かける。まだ生まれて10年しかたってないのに、自ら命を絶つって人間を創った神様もビックリだろう。
私は今から15年前の中学2~3年生の時に初めていじめを受けた。見えている世界は彩度0で、聞こえる世界はすべて悪口にしか思えず、自分自身は一言も言葉を発しない日も多かった。
当時いじめられたときの感情を振り返り、今自殺しようとしている学生に向けて送りたい。
学生の自殺の原因は何か
文科省が「子供の自殺等の実態分析」という白書?を出している。
「子供に伝えたい自殺予防(学校における自殺予防教育導入の手引)」及び「子供の自殺等の実態分析」について:文部科学省
「子供の自殺等の実態分析」から学生の自殺の理由を以下の通り抜粋した。
死亡した児童生徒の状況または可能性のある状況 | 単位(%) | |
学校的背景 | 進路問題 | 11.9 |
不登校または不登校傾向 | 9.9 | |
学業不振 | 6.9 | |
友人関係での悩み(いじめを除く) | 7.9 | |
異性問題 | 5.8 | |
いじめの問題 | 2.0 | |
家庭的背景 | 保護者との不和 | 9.9 |
保護者の離婚 | 6.5 | |
経済的困難 | 4.6 | |
個人的背景 | 精神科医治療歴有 | 13.5 |
独特の性格傾向 | 10.5 | |
自殺をほのめかしていた | 10.1 | |
自傷行為 | 8.3 | |
孤立感 | 7.5 | |
厭世 | 6.0 |
実は学生の自殺の原因は、家庭的な要因と進路問題や学業不振が多くを占め、いじめは2.0%と割合としては少ない。しかし、このデータのイケてないところは、更に深い原因までつかめていないところにある。例えば、「不登校または不登校傾向」は9.9%、「精神科医治療歴有」も13.5%を占めているものの、その理由については明らかとなっていない。これらの根本的な原因はいじめだったりすると思うのだが・・・。
事実、私は「いじめられる⇒孤立する⇒学業不振⇒不登校⇒進路問題」という連鎖を経験した。このようなアンケート結果が学校側から作られた場合、学校としてはいじめが問題というより不登校が問題だったと言ったほうが体裁が保てるから、実態は隠れているような気さえする。
いじめられたときにどのような感情だったか
いじめは自分が意図しないところで、些細なきっかけでスタートする。ある日、席替えで一番前の席になったが隣はいなかった。今までは一番後ろの席の隣がいないパターンだったが、自分だけが一番前で隣がいなかった。
誰に呼び掛けてるのかわからない名前で呼ばれ、声の方向を向くと、「振り返った、キモっ」とか言われ、あぁ、さっきの汚いあだ名は自分に付けられたものだったのかと気づいた。そこからは地獄だった。
とにかく、みんなと同じ教室にいたくなかった。授業には出たが、休み時間になった瞬間、人目のつかないところにダッシュして隠れた。登校時はギリギリにつくようにし、下校時は真っ先に帰った。
そのうち学年が下の人たちや話したことのない人たちも自分を見ては悪口を言ってくるようになった。学校の廊下を歩くことさえ苦しくなった。グループ活動ではいつも1人余った。仕方なく入れてもらったところでは一言も話さないようにした。
なんでこんなにつらく、苦しいのに生きる必要があるんだろう…
自分のどこがダメだったんだろう…
自分がいなくなればみんなはうれしくなるのかな…
もういっそのこと死んでみんなを呪ってやろうかな…
卑屈になるのと同時に、怒りもあった。「死んでやったよ、ざまーみろ!!」って言いたかったのかもしれない。
なぜ助けを呼べないのか
小中学生にとっては、家庭と学校が自分の世界のすべてだ。その2つしか見えていない状態である。そうなると、助けを求められるのは、親か先生になる。
まず、親について。親にいじめられていることを打ち明けるのってめちゃくちゃ勇気がいる。自殺がニュースになった時、遺書で「母さん、ごめん。いままで、ありがとう。」というように、親には知らせずに死ぬパターンが多い。
なんでそうなるかって2つの理由が考えられる。
第1に、親と仲が悪いケース。親が子供に無関心なので、コミュニケーションを全然取らずに過ごしてきた結果、学校で何かあっても話さないようになる。
第2に、親が教育熱心だったり、過保護だったりするケース。自分が期待されていたり、いわゆるイイ子で育ってきた場合は、とても親のメンツ丸つぶれなことは言えない。自分の場合は、褒められたことがなかったから、言ったらまた怒らせて終わりだと思ってとても言えなかった。(これもある種自殺の家庭的背景にあたるのか)
となると、次は先生について。先生に言った場合のパターンも2つある。
第1に、先生にチクったせいでいじめが広がるパターンだ。先生は何とかしようとしてくれるかもしれないが、いじめはより陰湿になり、はたから見たら仲良くなったかのような印象を受ける悪質ないじめに変わる。そう思ったら、とても先生には言えない。
結局勇気を振り絞って話してみても、第2の徹底的にもみ消すパターンに抑えられる。当たり前のことではあるが、先生にとっても、学校にとっても、教育委員会にとっても、いじめ問題は公にしたくない。それに、40人もの生徒を見ていて(今はもっと少人数か)マイノリティの言うことを信用するだろうか。
自分の場合は、「お前は大丈夫だから!」という謎理論で掛け合ってくれなかった。大丈夫じゃないから相談しているのだが…
小中学生にとっては、家庭と学校が自分の世界のすべてだ。そのどちらにも相談できず、一人も味方がいない四面楚歌の状態で、人生経験もない場合、どうやって解を得るのだろうか。そうなると、「死ぬ」という選択が最も妥当に思えてくる。
どうやってこの地獄から抜け出すか
「死ぬ」という選択肢以外をいかに見つけるか。
家庭と学校2つの世界しか見えてなくて、1つの選択肢しか出ないんだったら、世界を増やすしかない。増やし方は3通りだ。
① 公共サービスを利用する
文科省だって、東京都だって、24時間相談を受け付けている。
当然、学校の先生たちやいじめっ子、親には知られず、24時間無料でかけられる。
一旦相談するのはアリだが、結局は自分の力で、環境を変えなきゃ方向は良くならない。
② 別の学校の人に話しかける
電車がいつも一緒の違う学校の生徒や、塾が一緒だけど話したことない子がいるだろう。そいつに勇気をもって話しかけてみよう。人生死ぬしかないってドン底の状況で今より悪くなることはない。
また嫌われて、いじめられるかもって。また嫌われたら、別の人に話しかければいいじゃないか。別の学校だったら日常的に会わなくてもいいんだ。
これでまともに話せる人ができたら、気持ちが楽になるはずだ。こんな自分でも話してくれる人がいる、自分は世界中のみんなから嫌われてるわけじゃないんだって。
ちなみに、自分は塾で他校の女子生徒と話すようになり、塾に行くことだけが生きる糧だった。徐々に仲良くなって、そしたら自分がいま学校でどのような状況か説明した。彼女にとっては自分がいじめられていることなんてどうでもよくて、彼女と話している時の自分がすべてだった。その時、自分はまだ生きててもいいんだって思えた。
③ インターネットを使う
最近はSNSでいくらでもコンタクトが取れる。ツイッターで気になる人にDMを送りまくればいい。数うちゃ当たる作戦でいけば、必ず力になってくれる人がいるはずだ。
間違っても、自分の本アカウントは使ってはいけない。誰にも知られないアカウントを作って、新しい世界をスタートさせよう。
まとめ
日本の人口は1億3000万人で、君が見ている世界は30人から40人の小さな世界だ。
30~40人に嫌われて、いじめられようとも、残り1億2999万人は味方かもしれない。
その1憶2999万人にアプローチしないで死ぬのはあまりに早すぎるんじゃないか。