以前に行ってたことを始めることについての考察
なぜ人は以前に行っていたことを再び始めてみるかぁと思うのでしょうか。
それは、ホメオスタシスに他なりません。と、勝手に考えています。
ホメオスタシスとは
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
生体恒常性と訳される。アメリカの生理学者 W.キャノンが,主著『人体の知恵』 (1932) のなかで提唱した生物学上の重要概念。生体内の諸器官は,気温や湿度など外部環境の変化や,体位,運動などの身体的変化に応じて統一的かつ合目的性をもって働き,体温,血液量や血液成分などの内部環境を,生存に適した一定範囲内に保持しようとする性質があり,内分泌系と神経系による調節がそれを可能にしている。この性質をホメオスタシスと名づけた。体温や血糖値の正常範囲外への逸脱は,生体恒常性の異常すなわち病気を意味する。また自然治癒力は生体恒常性の表われと解される。
よくわかりませんが、何か身体にヤバい変化があると正常な状態に戻そうとする機能っぽいです。
最後のエントリを書いてから、8か月も期間が開いてしまいました。
これは、僕の人生が充実していたから(という建前)といえますが、充実している人生は、今まで飽きを感じていた自分にとって、ある意味では強烈な外部刺激を受けていたことになります。
つまり、外部刺激を受け続けた私は、生存に適した状態に戻そうと、今ここに再び戻り、書いているわけです。
わかりやすく言えば、頭を整理する間もなく過ごしてきたわけですが、少し整理する時間が必要になった、そんなところです。
どうしたら人は変われるのか
結局のところ、外部刺激、外部環境の変化が恒常的なものと感じられるようになること、すなわち、変化自体に慣れていくことが必要になります。
では、早く慣れるためにはどうしたらいいか。それは、早く経験を積むことにほかならず、量をこなすことが最短の方法になります。
例えば、生まれながらに女性に囲まれて過ごしてきた男性は、女性と交際することが容易でしょう。しかし、ずっと男性しか身近にいない場合は、社会人になって出会いの場が与えられたとしても、女性との接し方がわかりません。
後者の男性の場合、手早く女性に慣れるためには、①接する時間を長くすること、②会話のバリエーション、受け答え、接し方を様々に試すこと、の2つです。
100年時代を生きる
100年時代という言葉をよく聞きます。
ド素人発言ですが、時代の変化がスピード感を増している中で、変化に対応できない人間は淘汰されていきます。
少なくとも僕は、会社のお偉いさんであっても、PCが使えない人間と一緒に仕事をしたいとは思いません(もちろん、使えないから教えてほしいという姿勢を積極的に見せる人は別ですが)。デジタルネイティブな世代が経営陣になったとき、いとも簡単に彼らを切ることになるでしょう。
PCだけではなく、対人スキルも同様になるはずです。会社を退職したら連絡がぱったり来なくなるような、人望のない、マネジメントができず、プライドが高い管理職には、退職後の働き口が見つかるとは思えません。
しかしながら、これは元来、優柔不断で、自信がない、内向的な僕の未来にもなりえるのです。なぜなら、僕は変化に対応する勇気がないから優柔不断で、自信がないのです。
僕はこの優柔不断で、自信がない欠点について、ほとんど解決したように思っており、そうなるべく変化してきたはずなのに、またここに戻り、記事を書いています。
生存戦略
では、僕はどのようにこの変化スピードの早い時代に慣れていけばいいのでしょうか。
心理学者のチクセントミハイが創造的な人には「複雑さ」が備わっているとかなんとか言ってました。
- 作者: M.チクセントミハイ,浅川希洋志,須藤祐二,石村郁夫
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2016/10/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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創造的な人は状況に応じて、同時に積極的かつ協調的であったり、あるいは、あるときには積極的で、あるときには協調的であったりする。
複雑な性格を持つということは、人間の能力の全範囲に潜在的に存在しながらも、通常は、私たちがどちらか一方の極が「良く」、もう一方の極が「悪い」と考えるために退化してしまうような、多様な特性すべてを表現できるということを意味している。
Web上の人間は、姿かたちが見えないからこそ、わかりやすい性格、主義主張があるほど応援しやすいです。すなわち、内向的でも頑張ればこれだけ成功できた、変われた、というサクセスストーリー仕立てです。
しかしながら、ここにきてどちらともつかない状態になったため、ふと立ち返る必要が出てきた、そんな状態です。
そこで僕は、変化はさておき、上記のチクセントミハイの言葉を当てにし、自分は自分自身よくわからないから創造性がある人間なんだなと思い込むことで自尊心と自己肯定感を高めることにし、ここで筆を置くことにします。
以上
100%化膿すると知りながら、なぜささくれを剥かずにはいられないのか
冬場になるとささくれが多くなる。
昨日も薬指にささくれができてしまい、過去実績から100%化膿すると知っているにもかかわらず、ささくれを引っ張って化膿した今日である。
そこで私は考えた。なぜ悪い結果にしかならないのに、そうしてしまうのだろうか。
人間は本能的に気になることをやっちゃう
ささくれができれば、引っ張りたくなるし、かさぶたは剥ぎたくなってしまう。これはもう人間の性質である。
今日はセンター試験なので、無理やり勉強につなげて考えてみると、試験の前に部屋の汚さが気になりだして掃除をしたり、ついついテレビを見ちゃうものである。これはたぶん一生変えられない性質である。
中途半端な処置は無駄である
ささくれができたとき、根元から小さいハサミでカットするのが対処法としてあるが、完全に根元から切れたためしがない。どうしても0.0何ミリはピョッとまだ皮がめくれてる状態である。そうなるともう、剥かずにはいられなくなり、結局化膿してしまう、ということが、過去数十回はある。
これはささくれに限ったことではない。例えば、レポートを書いているときにyoutubeがお気に入りバーにあったら、そっちを見ちゃう。見ないぞと思っても見ちゃう。ダイエットしようと思ってもお菓子があったら食べちゃう。
気の持ちようじゃ治せない
上記の通り、ささくれに気を取られたり、見なくてもいいテレビを見たり、ダイエットしたいのにお菓子を食べちゃったりしちゃうことは多々ある。その行動がマイナスの結果を生むとわかっていてもそうできないのはもうDNAで決まっている。なんと人間の意志の弱いことであろうか。
そう考えると、結局気にならないような環境を作るしかないわけである。ささくれの場合、①ささくれにならないよう栄養を取りりつつ、ハンドクリームでケアする、②ささくれが発生したら消毒しつつ剥く(全部剥き、すぐさま化膿しないようにケアするほうがいいのではないかと思う)。
このような考えのもと、私はテレビを捨て、お菓子を家に置かないようにし、ブラウザを使い分けることにしました。
おわり
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内向的な私がマジのガチで考えていること
なぜ私が内向的なのか。
その理由は、私が常日頃考えている内容から判断できる。
以下の10点は普段から考えており、次に書くべきテーマである。
1 なぜ優等生はモンスターになれないのか
2 なぜ結局人なのか
3 なぜ退屈な人生を生きるのか
4 なぜ不満は出るのか
5 なぜ外国語を学ぶのか
6 なぜプライドは高くなるのか
7 恥ずかしい正体は何なのか
8 なぜ好きなことを忘れてしまったのか
9 なぜ行動できないのか
10 何のために生きるのか
なんと悲しいことか(いや、悲しくはない)、人生に飽きたとか言っている割に、私が考えているのは楽しいイベントや今後の人生設計、趣味のことではなく、自分はどうしてこうなのだろうか、自分と似たほかの人はなぜこうするのか、といった内向きな内容なのである。
2019年も内向きスタートで人生が飽きなくなるまでの道のりは長そうである。
おわり
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連休明けの仕事に行きたくない気持ちをどうするか
年末年始…
それは長い休みと引き換えに完全に仕事に行く気を無くさせる数少ないイベントである。僕は11日も休んでしまったため、ちょっとした休職からの復帰並みに行きたくない思いに打ちひしがれている。
そんな折、エリック・バーカー著の「残酷すぎる成功法則」の中に、仕事に行きたくない気持ちを和らげるような内容があったので明日の自分に向けて書きたい。なお、まだ読み途中であるため、レビューは別途行いたい。
なぜ仕事に行きたくないのか
単純に仕事が面白くないからである。
こういうと、「仕事なんてのはつまらないもんだ」としゃしゃり出てくる人がいる一方、同じ内容の仕事を楽しそうにしている人がいたりする。
この違いはどこからくるのか。そして、どうやったら楽しく取り組めるのか。
面白いゲームの四つの条件
上記の本では、「どんな成功法則よりも役に立つ!面白いゲームの四つの条件」と題し、仕事にはうんざりするのに、なぜゲームにはワクワクするのかを究明している。そして、何かに対してイラつくなら、以下の四つの要素のうち少なくとも一つが欠けているからだという。
そんなの読むまでもなく当たり前じゃね?と思われるかもしれないが、こういった基本的なことこそ、常に念頭に入れながら、仕事に取り組みたい。
要素1 勝てること(Winnable)
良いゲームはプレーヤーが必ず勝てるようにデザインされているとのこと。終わりきらない仕事量や何も助けてくれない上司がいる場合は、勝ち目が見えない。勝ち目が見えないゲームはつまらない。
要素2 斬新な課題(Novel)
優れたゲームには必ず新たなステージや新たな敵、新たな功績が用意されているとのこと。確かに、良いと思えるゲームは難しすぎず、易しすぎず、プレーヤーの能力が上がるにつれてゲームの難易度も上がっていく。仕事においても、単調なルーティンしかしていなかったり、見合わない責任を負わせられていたらそれは優れたゲームではない。
要素3 目標(Goals)
優れたゲームは攻略法が明確で、プレーヤーは焦点に集中でき、意思決定を下しやすいとのこと。確かに、ある目標に達しないとストーリーが進まなかったりする。攻略法とは言えないが、人生においても、結婚をすればプレーヤーは家庭を守ることに集中せざるを得なくなる。仕事においては、組織の目標はあれど、個人の目標はあるだろうか。
要素4 フィードバック(Feedback)
プレーヤーが適切なことをすれば、得点や報奨、新たなスキルなどが得られ、間違ったことをすればペナルティが課されるとのこと。確かに、ほとんどすべてのゲームがその形式だ。というより、それがゲームなのでは…?ともあれ、自分の仕事にフィードバックが感じられなければ面白くない。営業成績が上がれば昇進するし、納期に遅れればクレームがくる。なるほど、事務仕事やコールセンターなどはフィードバックがないからつまらなく感じてしまうのか。
明日からの働き方
以上の四つの要素を明日の仕事に組み込む。
具体的には、①ゲームに勝てるように上司を味方につける。②そのためには、上司と密にコミュニケーションをとりながら、自分に見合う目標を適切に設定し、③上司から新たな案件を積極的にもらいに行き、④「僕の仕事どうでした?」「他にお役に立てないですか?」などとお伺いを立てながら上司から積極的にフィードバックをもらう。
こうして2019年も立派な社畜魂が培われていくのであった。
おわり
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なぜブログを書かなくなったのか(フォローアップ報告)
最後に書いた記事は約3か月前だ。
そして、僕は最後に書いた記事のひとつ前に、以下の記事を書いた。
上記の記事は、
ブログを書く目的が何だったか再度考えてみるのが良いかもしれない。
と結論付けている。
僕はなぜ、再度考えてみるべきだと投げかけたにも関わらず、3か月もの間、ブログを更新しなかったのだろうか。当時の感情を思い起こしながら、理由を分析してみんとてするなり。
一般的にブログを辞めるデッドラインは3か月
以下の記事によれば、ブログを始めて3か月で30%の人がブログを辞め、ブログを辞める理由の53%が「更新が面倒になったから」とのことである。
また、辞める理由として、「他のことに忙しくなったから」が約32%であることにも注目しておく。
はからずも自分が立てた仮説は正しかったのか
上記に引用した記事に、ブログの更新が滞る理由を以下の4点としている。
① 平日も休日も忙しいため、ブログを書く時間がないから
② 誰も読まれないブログに自分の時間を使う意義を見出せないから
③ SEOを意識しすぎるばかり、人の為になる良記事じゃないと公開できないから
④ 本当にブログを書くネタがないから
端的に言ってしまえば、③と④は当てはまらなかった。なぜなら、元々書いた記事数も少なければ、本当にSEOを意識して書いているわけでもないからである。
となると、①と②が僕が3か月間更新しなかった理由になるわけだが、100%その通りなわけではない。一つずつ訂正しながら、その時の心境を記述する。
理由その①について
正しくは、以下のとおりである。
誤 平日も休日も忙しいため、ブログを書く時間がないから
正 他のことが優先順位が高くなったため、ブログの優先順位が下がり、自分の時間から更新する時間があぶれてしまったため
以下のその②は蛇足になってしまうほど、上記の理由がすべてだと思われる。冒頭、世間一般のブログを辞める理由として、「他のことに忙しくなったから」が約32%であることに注目したが、僕も例にもれなかった。
30歳になる前に、セネカの「生の短さについて」を読み、残りの人生をどう生きるかについて考えた。
当たり前ではあるが、何かを始めるためには、何かを辞めなければいけない。時間は誰もが平等に24時間持っているが、24時間以上持つことはできない。だから、何かやるべきことが見つかった場合は、他をあきらめなければいけないのである。
この頃、僕はある資格試験の勉強や新たな趣味であるカメラに没頭していた。資格試験や趣味については別途書くこととし、ここでは割愛するが、当然それらの優先順位が高くなれば、他の時間を削るしかないのである。それが僕の場合はブログだったわけである。
人生は短い。何かを成し遂げるには、選択と集中が必要である。時に自分のリソースをすべてさかなければいけない場合もある。そのために、ブログは生贄になったのだ。自分にとってブログは何かを成し遂げるための手段になりえなかった。だから優先順位が低かった。ただそれだけのことである。
理由その②について
正しくは、以下のとおりである。
誤 誰も読まれないブログに自分の時間を使う意義を見出せないから
正 誰かに読まれているだろうとわかっていても、リアルなその他の時間を覆すほど、自分の時間をブログに費やすことができなかったため
理由その①とほとんど同じである。読者が増え、アクセス数が伸びる。これほどうれしいことはない。下手をすれば、自分の仕事で関わる人たちよりも多くの人に影響を与えている可能性だってある(言い過ぎか)。しかし、自分にとっての優先順位を覆すことにはならなかった。
自分には多くの欲があると感じた。どうしても実益、それも短期的で直接的に手に入るようなモノ(ステータスだったり、リアルな反響だったり)が欲しかった。だから、ブログを書くよりも実益のあるほうに注力したというのが実情である。なんと世塵にまみれた己であろうか。読者にすれば非常に失礼極まりない話である。この場を借りてお詫び申し上げます。
結論
見てきたように、世間一般と変わらず、ブログを書かなくなってしまった理由は、「他のことが優先順位が高くなったから」である(決して忙しくなったからではない。時間的に余裕があったとしても、頭のメモリをブログに費やすことで他のパフォーマンスに影響が出るため、忙しくなくても書かないのである。)。
しかし、優先順位は常に変動している。試験は終われば、そのために費やした時間が丸々空く。そして今、その優先順位が変動した結果、書くという行為に至っている。余生との兼ね合いも考慮しつつ、ブログ活動を続けていきたい。
おわり
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30歳になる僕が20代にやっておけばよかったこと
今日、僕は30歳を迎えた。
アンケートの年齢欄に〇をつける時、もう「20代」にはつけられない。
30歳になる前に、人生に飽きが来たと称してブログを始めた。
「20代でやっておけばよかったこと」を記録として残そうと思う。
検索等をかければ出てくる「投資をすればよかった」とか、「健康に気を付ければよかった」とか、「大恋愛すればよかった」とか、細かいことはいろいろあるが、僕は3つだけ、記録として残したい。
もっと真剣に自分の心の声を聴けばよかった
やりたいことが浮かんだとき、人から誘われたとき、僕は色んな理由をつけて、"やらない"という選択肢を選んできた。
お金がもったいない、時間がもったいない、自分にはそんなに能力がない、自分は人見知りだから行かない、積極的に行動できないからしない、等々、あらゆる理由をひねり出して、やらなかった。
やらないほうが失敗がないし、人から何か言われることもない。僕は、自分にとってストレスのない(と思っている)空間から抜け出さずにいた。
自分に合っているかどうかはやってみないと分からないのに、自分でわかった気になって、自分の行動を極端に狭めていた。
その結果、人生の節目となる30歳を意識したとき、猛烈に自分の人生の無意味さを感じた。
自分が何が好きなのか、自分が何をしたいのか、よくわからなかった。ただ、今の人生が心から満足できるものではないと考えたため、人生に飽きたと称してブログを始めた。
人生には無数の選択肢がある。若いうちから方向性を定め、それに突き進んでいる方々には尊敬の念を抱く一方、無数の選択肢の何がフィットするのかを20年やそこらで見極められるものだろうか。全然やったことがない択肢はなぜスルーするのか。
やりたい感情が起きた時、まずはやってみて、合わなければやめる。でも、まず1回はやってみることが、人生に幅を持たせる秘訣なのであろう。
アウトプットを大事すればよかった
「20代はたくさん本を読み、勉強すればよかった」
これは多くの人が抱く後悔のようだ。
私はこれに、「インプットよりもアウトプットの配分を高めにするべきだった」と付け加えたい。
私は上記に倣い、たくさんの本(ビジネス書や自己啓発、教養本など)を読んだ。読了後、その時その時はいろんな考えを巡らせた。確かに、自分の思考の一部とはなっているかもしれない。
しかし、ただ単に一読しただけでは、その本のエッセンスの1割も自分の中に吸収できていなかった。なぜなら、その本の内容が思い出せないし、自分の行動が変わっていないからである。
図書のレビューは、隅々まで読んだうえで、その本の本質を意識的に探さなければ書くことはできない。アウトプットする過程において、インプットが強化され、自分に吸収されていく。
また、自分が考えたことについても同様にアウトプットすればよかった。何か考えが浮かんでも、誰に披露するまでもないし、まぁいいやと思考を停止し、本質まで深化させることをしなかった。結果、曖昧な考えしか持たず、自分軸が形成されなかった。
AI時代、人生100年時代が今後到来する。
そのような時代において、重要なのは創造性だったり、表現性だったり、その人オリジナルのアウトプットができることである。
そして、アウトプットを通じて自己表現を続けていけば、自己実現につながり、ひいては幸せにつながっていくのではなかろうか。
生の短さを意識すればよかった
僕は、20代の多くを仕事に費やした。
興味のあまり持てない仕事を人並み以上に頑張って、でも隣には働かないおじさんたちがいて、そんな環境を同僚同士で愚痴を言い合って過ごした。
平日は帰りが遅く、休日は思考を停止していた。
自分の貴重な時間を切り売りする残業で得られたのは、わずかばかりの残業代と、我が社でしか通用しない(我が社にのみ最適化された)、ノンポータブルなスキルのみであった。
20代はあっという間に過ぎた。10代に思い描いた20代だったと言えるだろうか。
30代、40代、歳を重ねるごとに自分の時間は少なくなる。身体は衰え、頭は働かなくなり、健康をメンテナンスする時間が多く必要になる。つまり、生は益々あっという間に過ぎ去っていく。
その上、長時間労働、大震災、パワハラ、いじめ等々、寿命以外の死が身近に感じられるようになった(昔からそうなのかもしれないが、自分にとっては他人事だった)。明日は我が身かもしれないし、それは誰にも分らない。
なぜ生まれ、なぜ生きているのか。その答えは明確ではないが、このまま死んでいくのが嫌なことは明確だ。
人生は一度きりだし、時間は巻き戻すことができない。今まで以上に、一分一秒を大切に生きよう。
今後の人生をどう生きるか
僕は、人生のやり直しはいくらでも可能だと考える。
社会構造を理由にしたり、年齢を理由にしたりして、歳を取ったら人生やり直せないよとかいう人がいるが、そんなことはない。やり直す方法はいくらでもあるのに、思考を停止して、従来の方法でしか考えていないためだ。
しかし、人間が唯一できないことは、時間を巻き度すことである。
決して過去の後悔にとらわれてはいけない。過去を教訓にし、自分の頭で考え、自分の心に従い、自分の人生を切り開いていくことこそが最も重要である。
僕は、30歳を迎える今日、そう心に刻んだ。
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ブログの更新が滞る理由【書くネタがない?】
ブログを始めて数か月でぶち当たる壁が、ブログを書くネタがないことである。
「書くことないなー」で3日、1週間、1か月とブログを更新しないまま、いつの間にかブログ自体辞めてしまうこともあるだろう。
しかし、本当に書くネタがないから更新しないのだろうか。
ブログの更新を滞らせている私が、言い訳がましくその理由について考え、対処法を考えてみることとする。
- なぜブログの更新が滞るのか4つの理由
- ① 平日も休日も忙しいため、ブログを書く時間がないから
- ② 誰も読まれないブログに自分の時間を使う意義を見出せないから
- ③ SEOを意識しすぎるばかり、人の為になる良記事じゃないと公開できないから
- ④ 本当にブログを書くネタがないから
- 更新を滞らせないために
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